陸上の400m走の女子選手・青木アリエはハーフなのか、両親の国籍やバイリンガルなのかについて、詳しくご紹介します。
「青木アリエって、ハーフなの?」「どんな国のルーツがあるの?」そんな疑問を持った方も多いのではないでしょうか。
名前やルックス、そして爆発的な走りからは想像できないほど、日本で育ち、地道に力をつけてきた選手です。
この記事では、青木アリエ選手はハーフなのか、両親の国籍や本人の名前の改名理由、語学力から身体能力の背景まで、青木アリエ選手を形づくる情報を丁寧に整理しました。
読み終えるころには、「多国籍=バイリンガル」や「才能=生まれつき」といった先入観が、きっといい意味でくつがえりますよ。

青木アリエはハーフではなくクオーター!両親の国籍は?
青木アリエ選手のルーツは、よく言われる「ハーフ」よりもさらに多国籍です。
実際には3つの国にゆかりがある「クオーター」で、両親ともに国際的なバックグラウンドを持っています。
どの国にルーツがあるのかをたどると、青木アリエ選手のアイデンティティの一端が見えてきます。
⓵図解】4つの国にルーツを持つクオーター
青木アリエ選手の家系は、日本・ペルー・イタリアという3つの国を中心に成り立っています。
もう少し詳しく見ると、父方と母方の両方にペルーのルーツがある点が特徴です。

- 父方:日本人とペルー
- 母方:イタリアとペルー
この構成により、青木アリエ選手は「クオーター」となります。
一般的に「ハーフ」と呼ばれるのは、片親だけが外国籍の場合が多いですが、青木選手の場合は両親ともに国際的な背景があり、ルーツはより複雑です。
そのため青木アリエ女のアイデンティティは単に国籍の違いだけでは語れません。
文化や価値観が自然に入り交じる環境で育ったことが、表現力や感性の豊かさにつながっている可能性がありますね。
多様な文化を内包する家系が、青木アリエ選手を形づくる土台になっていると見てよいでしょう。
青木アリエの父親と母親の国籍
青木アリエ選手の両親は、ペルー国籍であると考えられます。
両親の国籍は非公開ですが、青木アリエ選手が日本国籍取得の前はペルー国籍だったことから、両親もペルー国籍だと考えるのが自然と言えます。
青木アリエ選手の両親に共通しているのは、「ペルー」にルーツがあるという点です。
父親は日本とペルー、母親はイタリアとペルーのバックグラウンドを持っています。
このため、青木選手の家系にはペルー文化が2方向から流れ込んでいます。
ペルーには歴史的に日系人やイタリア系移民が多く住んでいます。
おそらく、ご両親はそうした国際的なコミュニティの中で出会ったのでしょう。
単にいくつもの国の血を引いているというより、ペルーがそれぞれの国の文化をつなぐ「交差点」のような存在になっているのです。
青木アリエ選手の魅力は、多国籍という言葉だけではくくれない、深いつながりとストーリーを持っている点にあるのかもしれません。
青木アリエの生い立ちは?日本で育ったの?
青木アリエ選手といえば、名前やルーツの印象から「海外育ちかな?」と想像されることもありますが、育った場所は日本の静岡県です。
日本の公立学校に通い、日本の文化とともに成長してきました。
静岡県育ちの青木アリエ選手が陸上と出会ったのは、浜松市立舞阪中学校に進んだときでした。
部活に入ることがマストだった学校の方針があり選んだ部活が「陸上部」。
陸上を選んだ理由が「運動音痴」だったからと、インタビューで青木アリエ選手自身が答えています。
「めちゃくちゃ運動音痴で、リズム感もないし、スキップもできない。走ることしかできないから」と陸上を選んだ。
Number Web 「運動音痴で、スキップもできない」のに!? 女子400mで“17年ぶり日本記録超え”フロレス・アリエ(21歳)って何者?「天真爛漫という言葉がぴったり」より
陸上を始めたきっかけは意外にも、「走ること以外は何もできない」という思いからだったんですね。
運動神経に自信があるわけではなく、むしろ苦手意識があったというから驚きです。
最初から速かったわけでもなく、スタート地点はごく普通の学生でした。ですが、どんどんと陸上の記録を伸ばしていきます。
こうして、その後の進路も陸上をもとに選ぶこととなりました。
青木選手の中高~大学までの進路がコチラ▼
時期 | 学校名 | 特徴 |
---|---|---|
中学校 | 浜松市立舞阪中学校 | 地元の公立中学校 |
高校 | 東海大学付属静岡翔洋高校 | 陸上に力を入れる私立校 |
大学 | 日本体育大学(在学中) | 全国からアスリートが集まる名門 |
青木アリエ選手はクオーターですが、一貫して日本の学校の中で成長してきており、いわゆる「帰国子女」や「海外のクラブ育ち」ではありません。
ただ、順調に進んできたように見える経歴にも、大きな壁がありました。
高校時代に全国大会で好成績を収めたあと、思うように記録が伸びず、大学入学後には一時スランプに陥っています。
そのとき彼女は、ただ落ち込むのではなく、自分を立て直すための行動を始めました。
- 食事の見直し
- 自炊による栄養管理(とくに野菜中心)
- 生活リズムの調整
- 精神面の整理と目標設定
こうした一つひとつの工夫が、記録にあらわれてきます。大学2年時には日本インカレで優勝し、大学3年ではついに日本最高記録を樹立しました。
- 大学1年(400m):60秒20(伸び悩み)
- 大学2年:53秒03(全国1位)
- 大学3年:51秒71(日本最高)
記録の推移を見れば、V字回復の鮮やかさが際立ちます。
そしてその裏には、「競技の才能」だけでなく、「修正力」がしっかりと根を張っていました。
育った場所が特別でなくても、きっかけが小さなものであっても、自分を変えることで状況は大きく動きます。
青木アリエ選手の生い立ちや今までの陸上の歩みは、あきらめずに頑張る勇気を静かに伝えてくれます。
名前を「フロレス・アリエ」から「青木アリエ」改名した理由
青木アリエ選手が名字を「フロレス」から「青木」に改めたのは、日本国籍を取得したことがきっかけです。
生まれ育ちは日本でも、長らくペルー国籍だった青木アリエ選手にとって、国籍変更は人生を大きく動かす節目でした。
そして、それに伴う改名もまた、「日本人として走る」という意思を形にした選択だったのです。
その理由は、競技の場で感じた違和感と、それを乗り越えようとする強い気持ちにあったと考えられます。
たとえば、2025年5月の静岡国際陸上では、「フロレス・アリエ」の名で女子400mを走り、51秒71という驚異的なタイムをマークします。
これは、日本記録を上回る歴史的な走りでしたが、彼女がペルー国籍であったため、「日本新記録」としては認められませんでした。
この経験を通して、青木選手の中にあった「名前と国籍が一致しない」ことへの葛藤がはっきりと表面化したのではないでしょうか。
インタビューの中で冗談まじりに発した「記録よりも国籍が欲しい」という発言には、日本で育ち、日本語で競技に向き合ってきた彼女の本音がにじんでいるようにも見て取れますね。
「52秒台も見えてきましたが、今は記録より国籍を獲得したい」
月陸Online 「400mフロレス・アリエが学生歴代5位の53秒28!関東インカレV後に覚醒「自信になっています」/実業団学生対抗」より
このあと、正式に日本国籍を取得することとなりました。
これまでの経過 | 出来事 |
---|---|
2025年6月18日 | 官報にて日本国籍取得が告示される |
2025年7月5日 | 日本選手権終了後、「青木アリエ」への改名を発表 |
2025年8月6日 | ポーランドの大会で「青木アリエ」として初出場 |
この改名で選ばれた「青木」は、父方の家系が持つ日本の名字です。
デイリースポーツのインタビューで「次の大会から青木になる。お父さんの家族に青木がついていたんで。新しい自分を見せられたら」本人の口から語られており、戸籍名としてだけでなく、今後もこの姓で競技活動を続けていく意思が示されていました。
国籍だけでなく、名前も含めて「自分は日本人である」ということを、公に表明する形となったのです。
青木選手にとって、姓を変えることは形式的な手続きにとどまりません。以下のような意味を持っていたと考えられます。
- 生まれ育った日本との一体感を、名乗る名前で示したい
- ペルー国籍の姓を残さないことで、過去と現在に明確な線を引いた
- 自分で選び取った姓で、これからの競技人生を築いていく覚悟
一方で、ペルーというルーツや家族とのつながりは変わらずなので、自分のルーツを否定するのではなく、「日本でこれからも活動していく自分」に国籍を合わせたと言えるでしょう。
名前とは、ただの記号ではありません。その人の物語を背負い、行動や立場を映すものです。
青木アリエという名前には、日本でこれからも競技者として活動していくという決意と、陸上に人生をかけて積み上げていきたいという願いがしっかりと込められています。
日本国籍取得と改名という節目を経て、青木アリエ選手はようやく名実ともに「日本代表」のスタートラインに立ちました。
これから呼ばれるその名が、日本中、そして世界のトラックで何度も響くことになりそうです。
青木アリエの語学力を調査!外国語は話せる?
青木アリエ選手の語学力については、「日本語のみで生活している」と見るのが最も自然です。
バイリンガルという見方もありますが、それを裏づける確かな情報は現時点で見当たりません。
ルーツにペルーやイタリアがあるため、「スペイン語やイタリア語も話せるのでは」と思われることもあります。

育った環境(静岡県育ち)を考えると、海外の言語にふれる機会は限定的だったと考えられます。
家庭での会話に一部含まれていた可能性はあっても、日常会話レベルで使っていたという証拠は確認されていません。
青木アリエ選手の育ちは静岡県内、通った学校もすべて日本の学校で、公的なプロフィールや大会でのスピーチもすべて日本語で行われています。
海外遠征時も、通訳や現地スタッフとの対応を通じて競技に臨んでいると見られています。
したがって、現時点では「バイリンガルではない」というのが最も妥当な見方です。
ただし、それは「語学力がない」という否定ではありません。
語学力の有無よりも重要なのは、言語を超えて伝わる競技姿勢や振る舞いです。
バイリンガルであろうとなかろうと、競技者としての青木アリエ選手の評価に何ら影響しないものと言えるでしょう。
青木アリエの驚異の身体能力とルーツの関係性
青木アリエ選手の身体能力は、出自の多国籍性に由来するものではありません。
青木アリエ選手の強さは、地道な努力と継続的な鍛錬によって築かれてきたものです。
もちろん、ペルーやイタリアにルーツを持つ点から、遺伝的な要素に注目が集まるのは自然なことです。
ただし、競技成績やトレーニング内容を丁寧に見ていくと、遺伝では説明しきれない積み重ねが浮かび上がります。
強くなった理由は、どの文化を背景に持つかではなく、どう過ごしてきたかにあります。
青木アリエ選手のコーチが特に評価しているのは「フォームの安定」と「後半の粘り」です。
400mという種目では、最初に飛び出すスピードだけでなく、ラスト100mに踏ん張れるかどうかが重要になります。
青木選手はこの「終盤勝負」に焦点をあて、意識的に体づくりとフォーム維持のトレーニングを続けてきました。
たとえば、筋力アップのためのトレーニングだけで終わらせず、それをどう実戦で活かすかを常に考えていると語っています。
強化した筋肉が実際の走りのどこに使えるのかを、細かく調整しながら練習を積む。この探究心と実行力の高さが、記録更新の原動力になっていると見えます。
また、技術面だけでなく、自己管理の精度にも特長があります。
日常の食事や体調の波を把握し、競技に必要なコンディションを自分で整える力は、ハイレベルなアスリートの条件でもあります。
本人の姿勢からは、「才能を活かすのではなく、仕上げる」という意志が感じられます。
結果として、青木選手の強さは「多国籍な血筋」という言葉で片づけるにはあまりにも具体的で、意志の通ったものです。
青木選手を速くしたのはルーツそのものではなく、自らの選択と努力の積み重ねだったと言えるでしょう。
⑥まとめ
青木アリエ選手について、これまでの情報を振り返ります。
- 日本・ペルー・イタリアにルーツを持つクオーター
- 生い立ちは静岡育ち、日本の学校で一貫して陸上を学ぶ
- 改名は日本国籍取得に伴うもので、「青木」は自身で選んだ姓
- 語学は日本語が主で、バイリンガルとの確証はなし
- 身体能力はルーツ以上に、本人の技術・意識・努力が支えている
競技力・人間性ともに成長を続ける青木アリエ選手、これからの挑戦にも注目ですね。
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