男子フィギュアスケートの鍵山優真選手の父でコーチの鍵山正和氏について、若い頃は息子そっくりだったか、現役時代やオリンピックの成績を詳しくご紹介します。
現代フィギュアスケート界の至宝、鍵山優真選手。
その滑らかでバネのあるスケーティングを見るたび、往年のファンは強烈な既視感を覚えます。
その正体は、常にリンクサイドで彼を支える父でありコーチの鍵山正和氏です。

優真くんのお父さんの正和さんは、アルベールビル、リレハンメルとオリンピックに2度も出場した、男子フィギュア界のレジェンドなんです。
この記事では、鍵山正和氏の現役時代の輝かしい活躍や、息子・優真選手との驚くべき類似性を、当時の記憶と記録から徹底調査します。
鍵山優真の父親の若い頃は息子そっくり?【画像比較】
「血は争えない」という言葉がありますが、鍵山親子の場合は単なる顔立ちだけでなく、氷上でのシルエットやスケーティングの「骨格」そのものが驚くほど似ています。
今日は父の日✨
— オリンピック (@gorin) June 15, 2025
鍵山優真選手にとって父の正和さんは
『尊敬していて頼もしい父でありコーチ』
オリンピアンである父と息子の美しい演技を振り返ります📹@yuma_kagiyama05 pic.twitter.com/SgG1H3z8Fr
ここでは、当時の映像記録やファンの証言をもとに、父・正和氏の現役時代と現在の優真選手の類似性を検証します。
父・正和氏の若い頃の画像と優真選手を比較
1992年のアルベールビル五輪や1994年のリレハンメル五輪当時の映像を確認すると、正和氏の氷上での姿勢が現在の優真選手と重なる瞬間が多々あります。
特に海外の熱心なスケートファンコミュニティでは、「Yumaの父だと一目でわかる」ポイントとしてクロスの踏み方からスケーティングの伸び、ランディングの形まで、本質的に正和さんと全く同じだと挙げられています。
Damn. Yuma really is his father’s son. His crossovers, flow across the ice, and landing positions are essentially identical to Masakazu’s. And can I just say, Yuma looks EXACTLY like his dad when he was younger.
【引用元】reddit「Masakazu Kagiyama – 1992 Albertville Olympics Free Program」
ジャンプを降りてフリーレッグを後ろに流す際、わずかに上体を反らしつつ胸を開く独特のフォーム。
この瞬間の首から肩にかけてのラインは、親子で完全に一致しています。
「優真選手を見ていると、若い頃の正和氏がタイムスリップしてきたようだ」と語るファンも少なくありません。
また、運命的なエピソードとして外せないのが、映画『タッカー』のプログラムです。
1992年の五輪で父・正和氏が使用したこの曲を、約30年の時を経て優真選手も2020年のユース五輪で使用しました。
当初、優真選手は父が使っていたことを知らずに選曲したそうですが、父譲りのリズム感で軽快なジャズを滑りこなす姿は、まさにDNAの証明といえるでしょう。
正和氏が「せめて衣装は(自分とは)違うものにしてくれ」とジョークを飛ばしたという微笑ましい逸話も残っています。
父親から遺伝したスケート遺伝子とは?
外見以上に「そっくり」と言われるのが、鍵山優真選手の代名詞でもある「膝の柔らかさ」と「猫足着氷」です。

現在の採点システムでも高く評価される、音もなく氷に吸い付くような着氷。この技術の源は間違いなくお父さんの正和さんにあります。
現役時代の正和氏は、現在よりも硬く重いブーツを使用していたにもかかわらず、解説者から「膝と足首が非常に柔らかい選手」と絶賛されていました。
ジャンプの衝撃を膝関節と足首の深い屈伸で吸収し、そのまま次のスケーティングの推進力に変える技術は、当時から世界レベルでした。
優真選手自身もeuropeonice.comのインタビューで「僕の膝の柔らかさは、トレーニングよりも父からの遺伝だと思う」と語っており、努力だけでは手に入らない天性のバネが継承されていることがわかります。
“Regarding my soft knee bend, rather than something I worked on in training, I believe this is more something genetic I inherited from my father.”
【日本語訳】
【引用元】europeonice.com「Yuma Kagiyama: Family Ties」
「膝の柔らかい屈伸については、トレーニングの成果というよりも、父から譲り受けた素質(遺伝)による部分が大きいと考えています」
また、1990年まで存在した「コンパルソリー(規定種目)」を経験している正和氏は、エッジワークの基礎が徹底的に叩き込まれていました。
氷をひと蹴りしただけでグンと伸びる「クロスオーバー」の質や、深いエッジに乗る技術もまた、父から息子へと受け継がれた「最強のスケート遺伝子」の一つです。
鍵山優真の父親・正和のフィギュア経歴と成績
現在では杖をつきながら穏やかに息子を見守る正和氏ですが、若い頃は日本の男子フィギュア界を牽引し、世界の厚い壁に風穴を開けた「開拓者」でした。
ここでは、その輝かしいキャリアと具体的な成績を深掘りします。
オリンピック2大会出場のレジェンド
鍵山正和氏は
- 1992年アルベールビル五輪(13位)
- 1994年リレハンメル五輪(12位)
と、2大会連続でオリンピックに出場したレジェンドです。
当時の男子フィギュア界は、
といった伝説的な選手たちが覇を競う群雄割拠の時代でした。
4回転ジャンプがまだ「未知の領域」だったその時代に、正和氏は日本人として初めて公式戦で4回転トウループに果敢に挑戦しています。
完全な成功認定には至らなかったものの、世界的な技術の潮流に食らいつき、日本男子の可能性を広げた功績は計り知れません。
また、特筆すべきは1994年に日本(幕張)で開催された世界選手権での「6位入賞」という快挙です。
現在の日本男子勢は表彰台常連ですが、当時の厳しい競争環境の中で世界6位に入ることは、現在のメダル獲得に匹敵する歴史的意義を持つ成果でした。
高いトリプルアクセルと流れるようなスケーティングは、海外のジャッジからも高い評価を得ていました。
全日本選手権3連覇の輝かしい成績
国内における正和氏の強さは圧倒的でした。全日本選手権では1990年から1992年にかけて3連覇を達成しています。
- 1990-1991シーズン:全日本選手権 優勝
- 1991-1992シーズン:全日本選手権 優勝(2連覇)
- 1992-1993シーズン:全日本選手権 優勝(3連覇)
まさに90年代前半の「日本のエース」として君臨していました。
若い頃は「ジャンプ能力は高いが表現が課題」と言われることもありましたが、キャリアを重ねるにつれて表現力にも磨きがかかりました。
特にリレハンメル五輪シーズンには大人の色気と哀愁を漂わせる演技を披露し、多くのファンを魅了しました。
引退後もプロスケーターとして長く活躍できたのは、技術だけでなく、観客を楽しませる表現者としての才能も開花させたからに他なりません。
現在の優真選手が持つ、技術(TES)と演技構成点(PCS)のバランスの良さは、父が選手として悩み、進化していった過程の集大成とも言えるのです。
まとめ:父・正和氏の若い頃の経験がコーチ業に生きている
鍵山正和氏の若い頃は、現在の優真選手と瓜二つのシルエットを持つ、世界へ挑む勇敢なアスリートでした。
全日本3連覇や五輪連続出場、そして日本人初の4回転挑戦という輝かしい実績は、現在の日本男子フィギュア界の礎となっています。
2018年の脳出血という大きな試練を乗り越え、現在は左半身に麻痺が残り杖をつきながらリンクサイドに立つ正和氏。
かつての「厳格な指導者」は、自身の闘病と息子の成長を経て、互いに意見を尊重し合う「共に戦うパートナー」へと進化しました。
優真選手の最大の武器である「膝の柔らかさ」や、怪我をしないための基礎技術の徹底は、父が現役時代に培った経験と哲学そのものです。
父が切り開いた道を、息子がさらに高みへと押し上げていく。
私たちが鍵山優真選手の演技にこれほど心を揺さぶられるのは、その背後に父子二代にわたって紡がれた、困難と栄光の「氷上の物語」を感じるからなのかもしれません。


