男子フィギュアスケート選手・中田璃士選手がなぜミラノ五輪に出られないのか、その理由について詳しく解説していきます。
2025年のジュニアグランプリファイナルで堂々の2位に入り、フィギュアスケート界に強烈なインパクトを与えた中田璃士(なかた りお)選手。
「この実力なら間違いなくミラノ五輪の代表だ」と期待するファンも多いですが、実はある「残酷なルール」により、彼の出場は絶望的と言われています。

なぜ実力があるのにオリンピックに出られないのでしょうか?
三浦璃士選手にとって最大の壁である年齢制限の詳細と、鍵山優真選手らとしのぎを削る現在の立ち位置、そして2030年フランス五輪への希望について詳しく解説します。
中田璃士がミラノ五輪に出られない最大の理由
結論から申し上げますと、中田璃士選手が2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪に出場できない最大の理由は、
「実力不足」ではなく「生年月日がたった2ヶ月遅かったから」
です。
Rio Nakata came in with a BANG 💥✨
— ISU Figure Skating (@ISU_Figure) December 4, 2025
The home crowd energy? Off the charts. 🇯🇵🔥#JGPFigure #FigureSkating pic.twitter.com/kq9IjmB1K6
中田選手の実力は、すでにシニアのトップクラスにあることは間違いありません。
2024年の全日本選手権では、ショートプログラムで90点超え、トータル263.99点を叩き出し、鍵山優真選手に次ぐ2位表彰台に上がりました。
これは佐藤駿選手や三浦佳生選手といった世界的な実力者を抑えての結果であり、本来であれば日本代表の有力候補として名乗りを上げるべき成績です。
しかし、オリンピックの出場資格には厳格なルールが存在します。
今回のミラノ五輪に出場するためには、世界スケート連盟が定めた2025年-2026年シーズンの開始時点、つまり
基準日である2025年7月1日時点で「17歳」に達している
という条件を満たしていなければなりません。
ですが、中田選手の生年月日は2008年9月8日。
つまり、
基準日である2025年7月1日の時点ではまだ「16歳」
なんです。
17歳の誕生日を迎えるのは9月なので、わずか69日(約2ヶ月)という日数の差で、出場資格を満たすことができないのです。

残念ながら、これは「実力や特例」でどうにかなる問題ではなくて、ISU(国際スケート連盟)が決めた絶対的な規定なんです。
すでに4回転ループや4回転サルコウ、トウループを操り、表現力(PCS)でも海外から高い評価を受けている「即戦力」であるにもかかわらず、制度の壁に阻まれて挑戦権すら得られない。
これが、中田選手が「失われた世代」と心配される背景であり、ファンが悔しさを募らせている最大の理由なのです。
17歳に引き上げ:五輪の年齢制限ルールを解説
では、なぜこのような年齢制限が存在するのでしょうか?
以前は15歳からシニアの大会(五輪含む)に出場できていたはずです。
浅田真央さんが年齢制限でトリノ五輪に出られなかった話は有名ですが、近年さらにルールが厳格化された背景には、フィギュアスケート界が抱える深刻な問題がありました。
きっかけは北京五輪のドーピング問題。
このルール変更の決定打となったのは、2022年北京五輪でのカミラ・ワリエワ選手(当時15歳)を巡るドーピング騒動です。
まだ精神的に未熟な若年層の選手が、過度なプレッシャーや大人たちの事情に巻き込まれ、心身ともに追い詰められてしまう状況が世界中で問題視されました。
ドーピング問題を受け、ISUは2022年の総会でシニア移行年齢の引き上げを可決しました。
その目的は、選手の「身体的・精神的な健康の保護(バーンアウトや摂食障害、怪我の防止)」と「キャリアの長寿命化」です。
変更は以下のスケジュールで段階的に行われました。
- 2022-23シーズン:15歳以上(変更なし)
- 2023-24シーズン:16歳以上
- 2024-25シーズン以降:17歳以上
まさに中田選手がシニアに上がりたいタイミングと、この「17歳規定」の完全移行が重なってしまったのです。
このルールには、全日本選手権で優勝しようが世界最高得点を出そうが、一切の特例措置(例外)はありません。
中田選手のように、ジュニア年代ですでに4回転ジャンプを複数種類習得している選手にとって、成長期のピークに五輪に出られないことはキャリア形成上の大きな損失に見えるかもしれません。

ですが、男子選手は4回転ジャンプの衝撃で大きな怪我を負いやすく、中田選手自身も左足に疲労骨折を抱えながら競技を続けていて、ファンとしては心配です。
早すぎるシニアデビューによる消耗」を防ぐという意味では、この厳しいルールが結果的に中田選手を救うことになるのかもしれません。
ですが、ミラノ五輪での活躍を期待していたファンにとっては、あまりにもタイミングが悪すぎる変更だったと言えるでしょう。
フランスアルプス五輪はエース候補:今後の活躍の可能性
ミラノ五輪への道は閉ざされましたが、中田璃士選手の未来は決して暗くありません。
むしろ、視線はすでに次の2030年フランス・アルプス五輪に向けられており、そこでは間違いなく「金メダル候補」としての活躍が約束されています。
21歳の全盛期で迎えるオリンピックシーズン
フランス・アルプスで開催される2030年の冬のオリンピック、この時、中田選手は21歳になります。
フィギュアスケート男子において、20代前半は技術と表現力が最もバランスよく融合する「全盛期」。
羽生結弦選手やネイサン・チェン選手もこの年代で五輪の頂点に立っています。
ミラノ五輪に出られない4年間を、単なる「足踏み」ではなく「準備期間」と捉えれば、これほど恐ろしい選手はいません。
海外メディアも絶賛する「スター性」
中田選手は英国人の母と日本人の父を持つバックグラウンドがあり、生まれ故郷であるウェールズ(イギリス)をはじめ、欧州での人気が非常に高いのも特徴です。
中田選手の母親に関する詳しい情報についてはコチラ▼の記事もご覧ください。
海外メディアは彼の演技を「情熱的(passionate)」「新しいスターの誕生」と絶賛しており、表現力においてもすでに世界基準に達しています。
技術面でも、現在は4回転ループまでの構成ですが、すでに練習では4回転ルッツや4回転フリップ、さらには4回転アクセルにも意欲を見せているとの情報があります。
これらが2030年までに完成すれば、鍵山優真選手をも脅かす「絶対王者」になるポテンシャルを秘めています。
オリンピックまでの最大の課題は「怪我の完治」
ただし、懸念材料がないわけではありません。調査によると、中田選手は2024-25シーズン、左足の甲に疲労骨折を抱え、医師から「トウループ禁止」を言い渡されながらも試合で跳び続けていました。
2024年全日本2位という結果は、選手生命を削る覚悟の上で手にしたものです。

ミラノ五輪に出られないという事実は、逆に言えば「無理をして五輪選考を戦う必要がない」こと。ケガの治療に専念することもできますよね。
今はまず怪我を完全に治し、2030年に万全の状態でピークを持っていくこと。
それさえできれば、フランスの地で表彰台の真ん中に立つ中田選手の姿が見られるはずです。
まとめ
中田璃士選手が2026年ミラノ五輪に出場できない理由は、「五輪シーズンの7月1日時点で17歳」という年齢制限のルールに対し、誕生日が約2ヶ月遅かったからです。
- ミラノ五輪: 年齢制限により出場不可(特例なし)
- 現状: 日本トップクラスの実力だが、まずは怪我の治療が最優先
- 未来: 2030年フランスアルプス五輪では21歳のエースとして金メダル候補
2024年全日本選手権2位という確かな実力を持ちながら、制度の壁に阻まれる形となりました。
しかし、この年齢制限は選手の健康を守るためのものであり、実際に疲労骨折を抱えている中田選手にとっては、焦らず身体を治すための「猶予期間」とも捉えられます。
2030年のフランスアルプス五輪での活躍に期待し応援していきましょう!

