男子フィギュアスケートのイリア・マリニン選手はロシア国籍があるのか、両親の国籍ルーツや生い立ちから詳しく解説していきます。
ミラノ五輪でのイリア・マリニン選手の圧巻の演技、本当に素晴らしかったですよね。

画面越しに応援しながら、ふと「マリニンってロシア系の名前だけど、なぜアメリカ代表なの?」と疑問に思った方も多いのではないでしょうか。
この記事では、そんなイリア・マリニン選手の国籍やロシアとの関係、ご両親のルーツについて、詳しくひもといていきますね。
ぜひ最後までリラックスしてお付き合いください。
イリア・マリニンはロシア国籍も持ってる?
「ロシア出身なの?」とよく聞かれるマリニン選手ですが、実は生まれも育ちもアメリカなんです。
ここでは彼の国籍に関する気になる疑問を、一つずつ優しく解説していきますね。
生まれはアメリカで国籍もアメリカ
マリニン選手のお名前の響きから、「もしかしてロシア生まれなのかな?」と想像してしまいますよね。私も最初は同じように思っていました。
ですが、マリニン選手は正真正銘、アメリカのバージニア州で生まれたアメリカ人なのです。
ISU(国際スケート連盟)のマリニン選手に関する公式情報でも、国籍はアメリカとハッキリ明記されています。

ご両親はもともと現在の旧ソ連に生まれウズベキスタンに渡り活躍した元フィギュアスケート選手。
競技を引退したあとにアメリカへ移住され、アメリカで生活を続けています。

その後の2004年にマリニン選手が誕生したため、生粋のアメリカっ子として育ってきたわけですね。
現在もアメリカを拠点にしており、幼い頃から地元のスケートクラブで練習を重ねて、あの圧倒的なジャンプ力を身につけていきました。
ロシアとの二重国籍の噂は本当?
ご両親が旧ソ連出身という背景を知ると、次に「じゃあロシアとの二重国籍なのでは?」という疑問が浮かぶかもしれませんね。
結論からお伝えすると、マリニン選手が国際大会のプロフィール等で公表している国籍は「アメリカ合衆国」のみとなっています。
ご両親のルーツである旧ソ連(現在のロシア)のパスポートを保有しているかどうかについて、公式に詳しく語られたことはありません。
ただ、フィギュアスケートの選手として活動する上では、アメリカ国籍の選手として一本化していると考えてよいでしょう。

ロシア国籍を保有していたら、そもそもISUの国際大会に出場できないですよね。
ロシアの血を引きながらも、マリニン選手自身のアイデンティティは生まれ育ったアメリカにあるのだと、日々の活動からも感じられます。
なぜアメリカ代表で出場しているのか
では、なぜフィギュア大国であるロシアではなく、アメリカ代表として星条旗を背負って戦っているのでしょうか。
その一番の理由は、やはり彼自身がアメリカで生まれ育ち、アメリカのスケート環境の中で才能を開花させてきたからです。
また、マリニン選手ご自身が過去のインタビューで、
「両親はウズベキスタン出身で、僕はアメリカ生まれ。単なるアメリカ人スケーターではなく、すべての国で受け入れられる選手になりたい」
と語っていたことがあります。
本当に頼もしい言葉ですよね。
特定の国境やルーツにとらわれず、唯一無二の存在としてフィギュアスケートの限界を押し上げたいという熱い想いが、彼をアメリカ代表の世界王者へと導いているのかもしれません。
両親の国籍ルーツと家族の歴史
マリニン選手の驚異的なジャンプ力は、一体どこから来ているのでしょうか。
実は、ご両親も世界を舞台に活躍したトップスケーターでした。ご家族の歩んできた歴史に迫ります。
両親はロシア出身の元オリンピック選手
マリニン選手の才能の秘密を探る上で欠かせないのが、素晴らしいご両親の存在です。
- お父様のロマン・スコルニアコフさん
- お母様のタチアナ・マリニナさん
お二人とも旧ソ連(現在のロシア)でお生まれになりました。
長年のフィギュアスケートファンの方なら、ピンとくるお名前かもしれませんね。
お二人は、非常に層が厚く競争の激しいロシア国内を離れ、国際大会で活躍する道を切り拓くために「ウズベキスタン代表」として競技生活を送る決断をされました。
ここで、ご両親の輝かしい実績を少しだけまとめてみますね。
- 母:タチアナ・マリニナさん
- 生年月日: 1973年1月28日
- 出生地: ソビエト連邦 ロシア・ノヴォシビルスク
- 1998年: 長野オリンピック(8位入賞)
- 1999年:四大陸選手権 初代女王(金メダル)
- 1999年:グランプリファイナル 優勝
- 2002年: ソルトレイクシティオリンピック(インフルエンザのため、ショートプログラム終了後に無念の棄権)
- 父:ロマン・スコルニアコフさん
- 生年月日: 1976年2月17日
- 出生地: ソビエト連邦 ロシア・スヴェルドロフスク州(現エカテリンブルク)
- 身長: 176cm
- 1998年::長野オリンピック(19位)
- 1999年:アジア冬季競技大会 銀メダル
- 2002年:ソルトレイクシティオリンピック(19位)
お二人とも、長野オリンピックとソルトレイクシティオリンピックに2大会連続で出場を果たしたという、本当にすごいご夫婦なんです。
そして引退後、アメリカへ渡ってコーチとなり、手塩にかけて育て上げたのが息子のイリア・マリニン選手でした。
ちなみに、彼の苗字が父親の「スコルニアコフ」ではなく母親の「マリニン」なのも、スケート界で有名だったお母様のレガシーを受け継ぐためや、英語圏で覚えてもらいやすいからではないかと言われているんですよ。
親から子へ、氷上の夢が受け継がれているようで胸が熱くなりますね。
家では両親とロシア語で話してる?
これだけご両親のルーツが色濃いと、「お家の中では何語で話しているのかな?」と気になってしまいますよね。
マリニン選手はアメリカ生まれで英語のネイティブスピーカーです。
ご家庭内での言語について報道ベースで語られたものは見つけられませんでしたが、ご両親とロシア語でコミュニケーションをとっている可能性があると言われていますね。

実際、マリニン選手の代名詞でもあるオリジナルの技「ラズベリーツイスト」という名前は、ロシア語で「マリニン」がラズベリーを意味することから、彼自身が名付けたものなんです。
自分のルーツであるロシアの言葉を、世界中にアピールする技の名前に取り入れるなんて、とってもおしゃれで素敵ですよね。
また、マリニン選手のジャンプ技術には、ご両親から直接受け継いだロシアの伝統的な指導法がしっかりと根付いていると評価されています。
アメリカの自由な表現力と、ロシアの確かな技術力。
その両方を自然に吸収できる環境で育ったことこそが、彼がフィギュアスケート界の頂点に立てた最大の理由なのではないでしょうか。
まとめ
今回は、イリア・マリニン選手の国籍や、ご両親のルーツについて詳しくご紹介してきました。
マリニン選手がアメリカ生まれのアメリカ国籍でありながら、ご両親から受け継いだ旧ソ連やウズベキスタンの素晴らしいスケート技術と誇りを胸に氷に立っていることが、お分かりいただけたかと思います。
「単なるアメリカ人ではなく、すべての国で受け入れられる選手になりたい」という彼の言葉からは、フィギュアスケートというスポーツそのものを愛し、自らが道を切り拓いていくという強い覚悟を感じますよね。
激動の時代を経てアメリカへ渡ったご両親の歴史を知ることで、これからの彼の演技がさらに温かく、そして深みを増して見えてくるはずです。
圧倒的なジャンプと進化し続ける表現力で世界を魅了するマリニン選手を、これからもぜひ一緒に楽しく応援していきましょう!

