ミラノオリンピックのフィギュアスケート解説でもおなじみの高橋成美さん、なぜ木原龍一選手とペアを解散したのか?、本当の理由と当時は公言されていなかった真実をご紹介します。

ミラノオリンピックの解説で高橋成美さんを見かけ、「あれ?昔、木原選手と組んでいなかったっけ?」と懐かしく思った方も多いのではないでしょうか。
今の「りくりゅう」ペアの活躍も素晴らしいですが、かつての「高橋成美・木原龍一」ペアにも、二人にしか分からない深いドラマがありました。
なぜ木原龍一選手と高橋成美さんはペアを解散して別の道を歩むことになったのか、その真相と当時の知られざる苦悩について、詳しくご紹介していきます。
木原龍一と高橋成美がペア解散した本当の理由
当時、ソチ五輪という大きな夢を叶えながらも、わずか2年という短期間で解散を選んだ木原龍一選手と高橋成美さん。
当時は明かされなかった「ペア解散の理由」の裏には、実は単純な不仲や成績だけでは語りきれない、複合的な要因が隠されていたのです。
高橋成美が語ったペア解散の真実
解散のニュースが出た際、解散の事実だけが公表され、多くのメディアでは「成績不振」や「方向性の違い」といった言葉が並びましたね。
しかし、真実は違います。
ペアを解散し引退すると決めた理由は
- 「平昌オリンピックを目指したが選考会で落選したこと」
- 「30歳までには大学を卒業したい」
の2つです。
高橋成美さんが引退を決めるまでの2年間、高橋さん自身、自分はもうこれ以上、上手くはならないと思っていた、けれどもスケートにしがみついていた、ということをYouTubeのインタビューで明かしています。
また、フィギュアスケートの練習や競技が忙しく、せっかく入学した慶應義塾大学総合政策学部に満足に通うことがきないこともストレスになっていました。
解散の理由は決して一つではなく、これからお話しする「実力差」や「怪我」、そして「将来へのビジョン」も複雑に絡み合い、高橋成美さんにとって限界のタイミングだったのかもしれません。
銅メダリストと初心者との実力差も理由だった?
高橋成美さんは当時実力差のあった木原選手に対し、実力不足を責めたり、引退の理由になったなどという発言は一切していません。
ですが、木原龍一選手と高橋成美さんのペア結成当時、高橋成美さんはすでに世界選手権で銅メダルを獲得していたトップ選手。
一方で木原選手は、シングルから転向したばかりの「ペア初心者」。
この「圧倒的な経験値の差」は、想像以上の負担を二人に強いていたはずです。

当時の木原選手は、シングルの技術はあっても、女性を持ち上げて4分半滑り切るための筋肉やスタミナはまったくと言っていいほどありませんでした。
ですが、メダリストと初心者をペアを組み、かつソチ五輪を目指すという当時の状況は、高橋成美さんにとっても、木原選手にとっても、壮絶なプレッシャーだったことは間違いありません。
たび重なるケガも原因のひとつ
実はこの時期、高橋さんは慢性的な肩やひざの怪我に苦しんでいました。なんとこれまでに7回もの手術を経験しています。
ペア競技は、男性が女性を高く放り投げたり、片手で支えたりする危険と隣り合わせの種目です。

木原選手にしてみれば、「自分の技術が未熟なせいで、怪我をしている成美さんを落としてしまったらどうしよう」という恐怖心と常に戦っていたのではないでしょうか。
高橋さんもまた、自分の身体が思うように動かないもどかしさを抱えていました。
お互いがお互いを思いやるからこそ、万全ではない状態でのペア継続は困難だったのかもしれませんね。
不仲説は事実ではない
ネット上では「不仲だったのでは?」という噂を見かけることもありますが、これは少し誤解が含まれているようです。
当時はソチ五輪までにペアを完成させなければいけない、というプレッシャーから追い込まれていた、と中野友加里さんのYouTubeインタビューで高橋さんが明かしています。
練習中に木原選手が原因で高橋さんをケガさせてしまった時には、木原選手はショックで部屋から出られなかったこともありました。
確かに、当時の木原選手は思春期真っ只中で繊細で多感な時期だったということで、ナーバスになる場面もあったといいます。

お互いに精神的に追い込まれる状況ではありましたが、それは「嫌い」という感情とは違います。
高橋さんは、木原選手から「ごめんなさい」と言葉に出して謝ることの大切さや、日本人の心の温かさを学んだと感謝しています。
練習後に漫画の話をしたり、息抜きの方法を教えてもらったりと、戦友としての絆は確実にあったのです。
解散を切り出したのはどちらから?
木原龍一と高橋成美のペア解散は、高橋さんの引退によるものです。
なので、「どちらが別れを告げたのか」という質問には、「高橋成美さんのほうから」と答えるのが正解と言えるでしょう。
ただ、ペア解散にいたったのは、どちらか一方の責任というよりも、「ソチ五輪」という一つのゴールテープを切ったことで、自然と別々の道が見えてきたというのが真実に近いでしょう。

木原選手には木原選手の、高橋さんには高橋さんの「スケート人生の次のフェーズ」がありました。
お互いがアスリートとして成長するために選んだ「前向きな解消」だったと言えるのではないでしょうか。
高橋成美が抱えていた当時の苦悩と本音
いつも明るい笑顔で解説をしてくれる高橋成美さんですが、現役時代は私たちが想像する以上に過酷な環境に身を置いていました。
華やかなリンクの裏側で、彼女が一人抱えていた悩みについて触れてみたいと思います。
ペアのパートナーが見つからない問題
日本ではシングルスケーターは多いものの、ペア競技はまだまだマイナーです。
そのため、高橋さんが直面したのは「滑りたくても相手がいない」という深刻なパートナー不足でした。
- 海外の場合: パートナーチェンジは日常茶飯事。相性が合わなければすぐに次を探せる。
- 日本の場合: 「一度組んだら添い遂げるべき」というような重圧があり、解消や再結成がしにくい。
高橋さんは「パートナーがいないと何もできない自分」に無力感を感じ、リンクの予約すらままならない状況に追い詰められたこともあったそうです。
滑りたいのに滑れない、その焦りは計り知れません。
資金面での苦しさ
フィギュアスケート、特にペア競技はお金がかかると言われますが、その実態は衝撃的です。
高橋さんが明かしてくれたある年の収支を見てみましょう。
| 項目 | 金額(概算) | 備考 |
| 収入(賞金など) | 約300万円 | 好成績の年でも折半のためこの額 |
| 支出(活動費) | 約1,000万円 | 衣装、靴、コーチ代、リンク代など |
| 年間収支 | 約-700万円 | 大幅な赤字 |
なんと、年間で700万円もの赤字です。
自身のお母様や、当時ペアを組んでいたマーヴィン・トランさんと一緒にルームシェアをして生活費を切り詰め、自分で営業をしてスポンサーを探す日々。
「衣装のストーンの位置まで気を使う」という華やかな舞台裏で、これほどの経済的な重圧と戦っていたのですね。
月経がこないことへの治療
女性アスリートにとって非常にデリケートな問題ですが、高橋さんは「26歳になるまで月経がこなかった」とYouTubeのインタビューで明かしています。
現役時代は、体重が軽い方がペアの相手に負担をかけないため、生理がこないことを「ラッキーだ」とさえ思っていたそうです。

周囲の大人や医師は将来の体を心配して治療を勧めましたが、現役中の彼女にとっては、身体が変化することへの恐怖が勝っていたのかもしれません。
引退後、友人の鈴木明子さんの発信をきっかけに、ようやく自分の身体と向き合えるようになったというエピソードは、同じ女性として胸が締め付けられる思いがします。
まとめ
木原龍一選手と高橋成美さんのペア解散。
その背景には、単なる相性の問題ではなく
- 慢性的なケガとの戦い
- 私生活とのバランス
- 世界で戦うためのの葛藤
- 経済的な厳しさ
など、あまりにも多くの現実的な壁が存在していました。
しかし、あの時の解散があったからこそ、木原選手は今のパートナーである三浦璃来選手と出会い、世界王者へと駆け上がることができました。
そして高橋さんもまた、解説者として、自身の経験を次世代に伝える新しい輝き場所を見つけました。
別々の道を歩むことになりましたが、それぞれの場所で氷の上に立ち続ける木原龍一と高橋成美がさんを、これからも温かく応援していきたいですね!


