国民民主党の幹事長・榛葉賀津也さんの若い頃のイケメン画像を発掘、留学時代のモテエピソードとともにご紹介します。
最近、YouTubeやTikTokを開くと、鋭いけれどどこか愛嬌のある榛葉賀津也さんの動画が流れてくることはありませんか?

「今の姿も素敵だけど、若い頃はもっとカッコよかったのかな?」と、ふと気になって検索した方も多いのではないでしょうか。
この記事では、榛葉さんの若い頃の画像や、意外すぎる留学時代の「モテ伝説」、今のダンディな魅力の原点となったエピソードをこっそりご紹介します。
知れば知るほど、今の発言がもっと深く心に響くようになりますよ。
榛葉賀津也の若い頃が超イケメン!
今の榛葉さんといえば、ビシッと決めたスーツに鋭い眼光、そして時折見せるくしゃっとした笑顔が印象的ですよね。
実は、若い頃の写真は「映画俳優みたい!」と言われるほどの美男子ぶりなんです。
ここでは、海外生活で磨かれたビジュアルと、少し意外な経歴について紐解いていきましょう。
【画像あり】3塁コーチャーとして大活躍の高校時代
偏差値60超の名門・掛川西高時代、実は今からは想像できないほど「細身」だったんです。
そんな高校時代の榛葉賀津也さんがコチラ▼
めちゃくちゃ賢そうな顔をしていますよね!
中日新聞の記事によると、当時の榛葉さんはレギュラーになれずとも決して腐らず、誰よりも大きな声でチームを鼓舞していた存在だったのです。
「手を抜きがちな冬のトレーニングでも一生懸命に取り組んでいた。常に声を出して周りを引っ張ってくれる存在だった」
中日新聞「友は語る:掛川西高野球部で先輩だった松下知生(ともお)さん談」
キツい冬の練習にも全力で取り組む「3塁コーチャー」としての姿は、当時から絶大な信頼を集めていました。
仲間のために声を枯らし、ブレずに支え続けるその姿勢。今の榛葉さんの原点は、まさにこのグラウンドにあったのかもしれませんね。
【画像あり】留学中の「謎の東洋人」時代
榛葉賀津也さんが高校卒業後から20代前半までを過ごしたのは、アメリカのオハイオ州でした。
当時の榛葉さんは英語を身に着けるためにあえて日本語を話さず「ボビー・シンバ」と名乗っていた時代。
大学生時代の榛葉さんの貴重なビジュアルがコチラ▼

左側の青年が、若き日の榛葉賀津也さんです。
親友の結婚式に参列した榛葉さんの姿は、ひげをたくわえ精悍な笑顔の好青年なビジュアルです。
英語習得のため日本語を一切話さない榛葉さんは、周囲のアメリカ人学生たちからすると正体不明の東洋人に映っていました。
「フィリピンから来たの?」「それともインドネシア?」と聞かれることもしばしば。
「榛葉(シンバ)」という苗字がスワヒリ語で「ライオン」を意味することから、大学では「ボビー・シンバ」で呼ば、学生証の名前まで「ボビー・シンバ」だったというから驚きですよね。
異国の地でたった一人、孤独に耐えながら努力を重ねるアジア人の青年。
そのストイックさと、どこか影のある「謎の東洋人」としての雰囲気は、当時のキャンパスでも一際目を引く存在だったのではないでしょうか。
【動画】外務副大臣時代の会見が再注目
最近、YouTubeで榛葉さんの外務副大臣時代の動画が「イケメンすぎる」とバズっているのをご存知でしょうか。
当時の榛葉さんは45歳。
外交の最前線に立っていたわけですが、その答弁のキレ味は今と変わらず、むしろ若さゆえの鋭さが際立っています。
理路整然と、時にユーモアを交えて切り返す姿に
と、YouTubeのコメント欄には榛葉さんの姿にファン化する人が続出しています。
単なる「イケメン」なだけではなく、その容姿に見合った「知性」と「度胸」を兼ね備えていたことが、動画を通じても伝わってきますね。
若い頃のモテ伝説を発掘!
「これだけカッコよくて英語もペラペラなら、絶対にモテたはず!」と勘づいている方も多いですよね。
ここからは、榛葉さんの人間的な魅力が爆発していた「モテ伝説」について、少し踏み込んで見ていきましょう。特に、命がけの留学生活で培われた人間力には驚かされますよ。
イスラエルで留学1年で彼女ができた
アメリカ留学後、榛葉さんが次に向かったのは、なんと中東のイスラエルでした。
実はこのイスラエルで留学中、渡航からわずか1年ほどで現地の彼女ができたという逸話があるんです。
言葉も文化も全く異なる環境で、すぐに心を通わせることができるなんて、相当なコミュニケーション能力の高さですよね。
単に英語やヘブライ語ができるというだけでなく、相手の懐にスッと入る「愛嬌」や、困難な状況でも動じない「頼りがい」があったからこそでしょう。
今の演説で見せる、聴衆を一瞬で惹きつける話術や、誰とでも対等に渡り合う度胸は、このイスラエル時代に磨かれた「人間力」そのものなのかもしれません。
高校時代から実はモテてた?
では、日本にいた高校時代はどうだったのでしょうか。

高校時代の榛葉さん、野球部に所属していたのですが、実は「エースで4番」といった花形選手というわけではなかったんです。
彼が務めていたのは「三塁コーチ」。 試合全体を冷静に見渡し、走者に「行け!」か「止まれ!」か瞬時に指示を出す、いわばチームの司令塔です。
「自分が主役にならなくても、チームを勝たせる」という役割に徹する姿は、派手さこそないものの、周囲からの絶大な信頼を集めていたはずです。
女子生徒からキャーキャー言われるアイドル的なモテ方というよりは、「榛葉くんに相談すれば何とかしてくれる」「いざという時に頼りになる」という、深く静かな人気があったのではないでしょうか。
今の政治家としてのスタイルも、まさにこの「三塁コーチ」時代と重なりますよね。
自分が前に出るだけでなく、組織全体を動かして結果を出す。
そんな「大人の男の余裕」と「献身的な姿勢」は、高校時代から既に完成されていたのかもしれませんね。
まとめ
榛葉賀津也さんの若い頃を振り返ってみると、単に「顔が良かった」というだけではない、深みのある魅力が見えてきましたね。
アメリカ留学で「ボビー・シンバ」として孤独に努力した「自立心」、イスラエルで新たな言葉を学び生き抜いた「バイタリティ」。
今の榛葉さんが放つ、あの独特の安心感や言葉の重みは、これら全ての経験が層のように積み重なってできているものなのでしょう。
「イケオジ」という言葉だけでは片付けられない、人生の酸いも甘いも噛み分けた一人の男性としての歴史。
これを知った上で、明日の彼の演説や会見を見てみてください。今まで以上に、その一言一句が心に響いてくるはずです。
そして、私たちも明日を「檜(ヒノキ)」のようにまっすぐ生きていこう、そんな勇気を彼から少しだけ分けてもらえるかもしれませんね。


