一代で年商16億のグループ企業を築き上げた小澤辰矢さんの年収や資産額、どんな愛車にのっているのかを徹底解剖していきます。
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— 小澤 辰矢 (@ozawa_group) September 11, 2025
俺でよかったのか?笑 pic.twitter.com/pYgLmeN5cY
成功して見える人ほど、実際の収入や暮らしの裏側は分かりにくいもの。
小澤辰矢さんもその一人で、番組で語られる数字と現場で積み上げてきた実績にギャップを感じた方は多いでしょう。

小澤さんはコンクリート圧送工の職人として年収6000万円、グループ会社の事業も年商16億円規模へ成長させいると言われています。
本記事では、小澤辰矢さんの驚きの収入額や資産の中身、そして愛車の変遷まで詳しく深掘りしていきます。
読み終える頃には、表舞台だけでは分からない「稼ぎ方の構造」がつかめるはずです。
小澤辰矢の年収は本当に6000万超え?
小澤辰矢さんの年収は2020年の時点で6000万円を手にしており、自身の会社「小澤総業株式会社」でも公開されています。
某ゼネコンに呼ばれて
— 小澤 辰矢 (@ozawa_group) September 16, 2025
浅草にいました pic.twitter.com/r5GJMd2ZAY
この高収入の背景には、現場での技術力とサービス品質、さらに独自開発のドットコン事業による収益の積み上げがあります。
さらに、小澤グループ全体でも年商16億円規模に成長しており、年収と売上の両面から高い収益性がうかがえます。
ここからは、まず個人としての年収の中身に踏み込み、実際の手取り額を整理していきます。
役員報酬のリアルな金額
小澤辰矢さんの年収は、小澤総業だけで年収6000万円あることが、小澤総業株式会社ホームページのコラムで公開されています。

では、グループ会社からも同程度の年収を受け取っているか調べてみると、実際はそうではありません。
まず特徴的なのは、グループ会社5社のうち2社の報酬を極端に低く抑えていることです。
| 会社名 | 業態 | 役員報酬(月額) |
|---|---|---|
| ポンプマン (PUMPMAN) | 中古ポンプ車販売 | 1万円 |
| 鯉城開発 (りじょうかいはつ) | コンクリート圧送工会社 | 10万円 |
これは資金を個人に寄せず、企業側に残すための経営判断であり、小澤さん自身も収入を事業へ回す姿勢を崩していません。

一方で、圧送工としての現場収入は非常に高く、小澤さん自身も実務を担うことで6000万円に到達しています。
独立前から腕の良さで月70万円を稼ぎ、早い時期から高収入を得ていた経験が、現在の技術力と単価の高さにつながっているのでしょう。
- コンクリート圧送工としての年収は6000万円
- グループ企業5社のうち2社では報酬を低く設定(月額1万と10万)
- 役員報酬よりも、技術投資と事業投資を重視する姿勢
年商に対して収入を見ると思っていたほどの派手さはありませんが、会社成長を優先しながら高収入を維持する働き方は、小澤辰矢さんならではのスタイルだといえます。
儲けまくり年商16億円グループの利益の源泉とは
小澤グループが年商16億円へ成長した理由は、現場での強みと独自商品の二本柱によって、同業他社が真似しづらい利益構造をつくり上げてきた点にあります。

どちらか片方だけではなく、両輪がそろうことで高い収益性を実現しています。
まず、利益を支える基盤は次の通りです。
【利益を生む2つの軸】
- 圧送工としての圧倒的なサービス品質
- 独自商品ドットコンを中心とした技術革新
特に小澤総業の現場での対応は、通常の圧送工とは一線を画しています。
一般的には生コンを流した時点で作業は完了しますが、小澤総業は後工程のサポートまで行う姿勢を貫いてきました。
この細かい配慮が、依頼主の信頼を積み重ね小澤総業の業績が成長し続ける大きな要因です。
もう一つの収益の柱が、独自開発の
- 透水系コンクリート「ドットコン」
です。

ドットコン、実はドバイやインドネシアからインフラ整備に使えないかって注目されてる商品。世界でも注目されてるなんてビックリですよね。
2年連続でグッドデザイン賞を受賞し、特許も多数取得しています。
初期投資1億円の失敗からの立て直しを経て製品化した点も話題となり、市場は国内にとどまらず海外へ広がりつつあります。
これらの要素が合わさることで、グループ全体の売上は16億円規模へ成長しました。
小澤グループの強みは、現場力と技術開発の両輪をそろえ、利益の源泉を多層化した点にあると言えるでしょう。
小澤辰矢の総資産と愛車コレクション
小澤辰矢さんの資産は、高級品よりも事業と社員のために再投資されている点が特徴です。
不動産や設備、特許関連が主な資産となり、手元に残すより未来へ振り向ける姿勢が際立っています。
【ここで押さえたいポイント】
- 主要資産は社屋・土地・事業設備・技術資産
- 愛車は高級車から実用本位のモデルへ移行
また、愛車は過去の派手なコレクション時代を経て、現在は仕事に直結する専用車へと変化しました。
次では、具体的にどの車に乗り換えてきたのか、その変遷を見ていきます。
ハマーやフォードを経た今の愛車は?
小澤辰矢さんの愛車遍歴は、派手な成功期と再出発の節目とで、くっきり分かれる特徴があります。
現在の主役は仕事に直結した専用車であり、これまでの高級車への傾倒とは異なる実用重視の選択が見えてきます。事業の成長とともに価値観が変化した点が印象的です。
まず20代、会社の成功期には豪快な趣味の車がズラリ並んでいました。

この画像を見るだけでも、
と、高級車がズラリと並んでおり、購入金額は1億を超えると推定されます。
| 車種 | 購入推定金額 |
|---|---|
| ベントレー・フライングスパー | 1,500万円 |
| メルセデス・ベンツ Sクラス | 1,000万円 |
| ポルシェ・カイエン | 1,000万円 |
| ハマー H2 | 3,000万円(1,000万円 × 3台) |
| ジープ・ラングラー アンリミテッド | 600万円 |
| 大型キャンピングカー | 1,500万円 |

あまりにケタ違いで、ちょっとよくわからない規模の豪快なお金の使い方ですね。
これらの高級車コレクションは主に20代の頃にコレクションしていたものです。
さらには、ハマーのカスタムには2000万円を投じたと、費用もケタ違い。

このころの車事情をまとめると、
- 高級車を一人で7台所有
- カスタム費だけで2000万円を投入
- ハマー全国チームに所属
- 全身ブランド服・スーツで出勤する生活
- ヨット購入など「成功者ムーブ」が加速
こうした派手さが一変したのは、多角経営の失敗や身近で起きた不祥事を経て、生き方を見直したタイミングでした。
高級車はすべて売却し、等身大の生活へ舵を切っています。
その中で新しい象徴になったのが仕事用の専用車です。
【現在の愛車】
- カスタムされたポンプ車
- 天井をカットした日本初の改造モデル
- 売却不可の自分専用仕様
- 現場へ向かうためだけに使う実務車
さらに、2025年8月にはフォード F-150 ラプターからイスズのエルフへ乗り換えたことも自身の公式X(@ozawa_group)で明かしていました。
エルフに乗り換えましたので
— 小澤 辰矢 (@ozawa_group) August 30, 2025
売ります!売るのが惜しいですが欲しい方いましたらメッセージください
5年乗りましたとても良い車です❤️ pic.twitter.com/fGosMRyAX9
フォード F-150 ラプターは輸入価格が諸費用込みで1900万円超とされ、円安の影響で現在は買った当時より高値で取引される可能性もあります。
中古市場でも2018年式が649万円で出ており、人気は根強いといえます。
今の小澤さんは、家族との時間を最優先にし、日曜には弁当を作って公園に出かける生活を楽しんでいます。
派手な車で飾る過去とは異なり、暮らしの中心に「等身大の幸せ」を置く姿勢が現在の愛車選びにも表れています。
不動産や時計なども含めた資産総額はいくら?
小澤辰矢さんの資産は、高額な時計などの高級品を集めるタイプではなく、事業の基盤づくりに資金を集中的に投じている点が特徴です。
結論として、手元に潤沢な現金やブランド資産を残す形ではなく、ほぼすべてが会社の成長と社会的ビジョンのために使われています。
個人の豪華な所有物よりも、未来へつながる設備が資産の中心になっています。

会社の様子をYouTubeで見ても、社員の福利厚生にもかなり力を入れているのがわかりますね。
まず、ここ最近の投資内容を見ていくと、
| 新社屋購入 | 1億円 |
| 倉庫購入 | 6000万円 |
| 鯉城開発の買収 | 1億円 |
これらは個人的な資産形成ではなく、社員の働きやすさや組織の安定につながる投資として行われています。
さらに、資産が残りにくい理由には、
- 稼いだ資金を事業や商品開発へ再投資
ということがあげられます。
小澤さんの資産を表にまとめると、資産の性質がより分かりやすくなります。
| 小澤辰矢さんの資産(概要) | 内容 | 特徴 |
|---|---|---|
| 不動産 | 社屋・土地 | 社員向け設備が中心 |
| 事業設備 | ポンプ車・関連機材 | 収益基盤に直結 |
| 技術資産 | ドットコン特許群 | 長期の成長ドライバー |
| 企業価値 | ポンプマン等のグループ会社 | 将来的な収益源 |
また、小澤さんは、お金そのものを目的にする生活をさける考えを持ち、「大きい夢があるならお金は手段にすぎない」と位置づけています。
その象徴として、高級時計やブランド品の所有を増やすのではなく、日本一の児童養護施設の建設など、社会的ビジョンに重心を置いて活動しています。
現在の資産総額は明示されていませんが、不動産・設備・特許など事業に紐づく形で積み上がっており、個人の豪華な所有物よりも未来への投資が中心になっている姿勢が際立っています。
中卒から年商16億経営者への成り上がり人生
小澤辰矢さんの仕事人生は、学歴に頼らず、選択と行動を積み重ねて収入と事業を伸ばしていった点が特徴です。
結論からいえば、稼げる仕事を迷わず選び、失敗を経験しながら軌道修正を続けたことが、現在のグループ年商16億円につながっています。
そのプロセスを追うと、行動の速さと仕事への向き合い方が収益の源泉だったことが見えてきます。
まず、社会に出た10代は模索の連続でした。高校を1年で中退し、15歳で静岡から上京したあと、収入を最優先にして働き口を選んできました。
- 10代転々とした仕事
- ガソリンスタンドで16歳で月26万円
- ホスト(7〜8か月)で接客と礼儀を習得
- 解体業・鉄筋工など体を使う仕事を経験
- 金融業では営業スキルを磨く
- 20歳天職との出会い
- コンクリート圧送工会社の立ち上げメンバーとして月70万円を稼ぐ
- 時間勝負の現場が性格に噛み合う
- 分業制で給料が下がり、独立を決意
- 24歳独立し「小澤総業」を起業
- 創業1年で売上1億円突破
- いち早くホームページを活用し、検索上位を獲得
- 6〜7年でポンプ車保有台数が都内トップに
どの仕事も長く続きませんでしたが、「稼げる仕事」を探す姿勢だけは一貫していました。
転機は20歳の時です。職業安定所で、単純に「一番給料が高い」仕事としてコンクリート圧送工に出会います。
そして24歳で1600万円以上の借金を背負い、ポンプ車1台から独立。
ここから事業拡大が急加速します。

現場では標準作業にとどまらず、後工程のサポートまで行う姿勢を徹底。効率重視の現場運営が評価され、依頼が増えていきました。
しかし、順調な成長の裏では、大きな停滞も経験します。
多角化した事業が失敗、世間を騒がせる事件も起こり、社員も離れていきました。
当時のことを、著書『テッペン、獲ろうか。 中卒40歳・年商14億円経営者の失敗から学んだ「成り上がり論」 』の中で「絶望」という章で詳しく語っています。
その後、熊本地震での支援を通じて社会貢献への意識が高まり、事業の方向性がさらに進化します。
水害対策に向けた独自の透水コンクリートであるドットコンを開発し、特許を多数取得したことで、事業は新しいフェーズに入りました。
まとめると、小澤辰矢さんの成り上がりは、収入を軸に職を選び、現場力を強みに事業を伸ばし、失敗後は社会性のある技術へ舵を切った結果として築かれたものです。
仕事に対する姿勢の変化が、そのまま年商16億円の基盤になったと考えられます。
まとめ:小澤辰矢は建設業界きっての「稼げる」経営者だった
小澤辰矢さんの年収と事業規模は、現場での技術力と独自の経営判断が組み合わさって生まれたものです。
コンクリート圧送工として6000万円を稼ぐ実力に加え、年商16億円まで成長したグループ企業の運営は、利益を生み出す仕組みづくりに強みがあります。
特に、サービス品質や迅速な現場対応、新商品の開発が大きな推進力になりました。
- コンクリート圧送工として年収6000万円
- 小澤グループは全5社で、特に圧送工と独自商品ドットコンの二本柱で成長
- 過去にはハマーやポルシェなどの高級車に乗っていたが、今はトラックとポンプ車が愛車
- 失敗後に事業を再構築し、社会貢献の方向へ舵を切った
- 利益は事業と社員のために再投資

