高市内閣で初入閣した小野田紀美議員の若い頃やモデル時代の画像、当時のお仕事エピソードを詳しくご紹介します。
「小野田紀美さんって、本当にモデルをしていたの?」SNSではそんな声が絶えません。
政治家としての知的な一面とは対照的に、若い頃はミスコン出場やモデル活動など意外な経歴を持っていました。
この記事では、小野田紀美議員の若い頃の華やかな時期の写真・仕事エピソードを紹介します。
読み終えるころには、彼女の新しい一面にきっと惹かれるはずです。
小野田紀美の若い頃!モデル時代の画像も!
小野田紀美さんの若い頃は、今も変わらない明るさと華やかさが同居した時期でした。
大学を卒業した直後から、彼女はさまざまな仕事を経験しながら社会を学んでいます。
モデルとして活動していたのもその一部で、当時の写真からは、今と変わらない整った顔立ちと芯の強さが伝わってきます。
ただの仕事ではなく、「社会を知るため」「政治家を目指すため」という目的意識をもって働いていた点が特徴的です。
若い頃の姿には、すでに現在のリーダーとしての片鱗が感じられます。
【画像あり】小野田紀美の高校生時代
小野田紀美さんは2018年、自身のX(@onoda_kimi)で高校生の頃の写真を公開しました。
急に色々な写真を要求され、アルバムをひっくり返して探していたら高校生の時の写真が出てきました。髪型にも表情にも何の進化も見られない約18年前… pic.twitter.com/qENXoUmdHo
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) March 23, 2018
投稿には
髪型にも表情にも何の進化も見られない約18年前…
とコメントが添えられ、18歳当時の自然体な笑顔が話題になりました。
写真に写る彼女は、とても明るく元気いっぱい。
カメラに向かってくしゃっと笑う表情がチャーミングで、見ている人の気持ちまで明るくするような笑顔が印象的です。
背景には海と緑が広がる高台のような景色が映っており、旅行や学校行事の一場面とみられますね。
さらに、高校生の時から目の下のクマがひどかったというコメントともにこんな写真も。
小野田の目つきが悪いなどとアンチになじられる時によく使われるこの画像なんですけど、昔からほんっっとにクマが酷くて!最近更にずっと酷くて!写真撮ってくれる秘書さんから「クマ酷いんでなんとかして下さい」って言われるんですけどどうしたら良いのです!?18歳の時でこれ(右画像)ですよ助けて… pic.twitter.com/Cp0ef7Ascm
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) October 6, 2020
昔からほんっっとにクマが酷くて!最近更にずっと酷くて!写真撮ってくれる秘書さんから「クマ酷いんでなんとかして下さい」って言われるんですけどどうしたら良いのです!?18歳の時でこれ(右画像)ですよ助けて…
と、自分の目の下のクマをネタにするのも、小野田紀美議員らしいですね。
【画像あり】モデルの仕事内容や所属事務所は
拓殖大学在学中から卒業したのちの2003年から2007年のあいだ、小野田さんは「ショーモデル」として活動していました。
そうなんですよ!!昔モデルしてた時、ショーモデルだったらやっぱり175cmはないときつくて、かといってドラマとかだとデカいって言われるめっちゃ微妙な身長ですよね170…。来世では180cm以上を目指します。
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) May 28, 2024
ただ、当時の所属事務所や活動の詳細は公開されていません。
ご本人の投稿からは、ショーモデルだったことは判明しています。
その証拠に、ウェディングドレスを着た写真や、ショーでのエピソードをご本人がXに投稿しています。
はい花嫁姿(´-`)つ
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) May 23, 2020
15年前ですがこれで納得して下さい。花嫁衣装はは仕事やミスコンで100回は着たのでもういいですー。 pic.twitter.com/TEeWqvD8ZM
いまの立ち歩きの美しさは、ショーモデル時代に培われていたと言えますね。
そして、和装の色打掛をブライダルショーで着た時に、
20年前ブライダルショーのモデルで和装した時も「違う…あなたは花嫁じゃない…大奥総取締り…」って言われてました。ご名答です笑
20年前ブライダルショーのモデルで和装した時も「違う…あなたは花嫁じゃない…大奥総取締り…」って言われてました。ご名答です笑
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) July 2, 2023
とコメントされたされたエピソードを披露しています。たしかに、とも言える名コメントです。
2023年に和装で豪華カツラをまとった姿からも、20代当時から和装に貫録があったんだろうな、と想像できますね。
完成!
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) July 2, 2023
姫役のカツラは後ろの飾りがこんな感じでゴージャスです!重いです!各年の大名行列に参加される皆様のご苦労が身に沁みました…地域を盛り上げて下さる皆様に心から感謝。 pic.twitter.com/Q4XCfuqO17
さらに、大学生だった2003年の頃の写真もX(@onoda_kimi)で発見!
画像を遡っていたら出てきた15年前の小野田姉妹。妹、今年は仕事で上斎原女相撲は欠席となりました。デジタルじゃないネガの写真懐かしいですね。 pic.twitter.com/1dvueBGjbw
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) December 31, 2018
姉妹仲良く映る写真に「ヤンキー感」「目力半端ない」といったコメントが相次ぎました。
モデルの活動期間と辞めた理由は?
モデル活動は2003年〜2007年ごろの約5年間に限定されています。
モデル活動について、本人の言葉を借りるなら「政治家になるまでに社会を知るための時間」でした。
25歳までは選挙に立候補することできないため、その間にいろいろな職業を体験してみようと考えていたそうです。
ショモデルを辞めたことについて明確な理由があったかどうかは不明ですが、小野田議員にとってモデル活動は
- 政治家になるには「知名度」が必要と考えていた
- モデルを通じて知名度を向上しようと考えていた
ということ目的だったのではと推察できますね。
さらに、2008年にゲーム制作会社アスガルドへの就職が決まったことも、モデルを引退を後押ししたのかもしれません。
その後、会社で広報・制作を担当しながら、2010年5月から2011年3月までTOKYO自民党政経塾5期生として学び、政治家への道を模索します。
TOKYO自民党政経塾の同期には、高市内閣で外務大臣政務官に就任した大西洋平衆議院議員がいます。
そして、2011年に念願かない東京都北区議員選挙で初当選を果たしました。
モデル時代は短かったものの、小野田議員にとっては「挑戦と学びの時期」として、今の行動力と戦略性につながっていることでしょう。
小野田紀美はミスコンにも出場!当時の画像や結果は?
小野田紀美さんが若い頃、実はミスコンにも出場していたことが本人の発信で明らかになっています。
写真の最前列・一番右側に、小野田議員が映っていますね。
昔の写真を!とのリプ頂いたので、これまた15年ほど前のミスインターナショナルの記念写真を。どーこだ。ファイナリストのみんなとですが、確か研修の後か何かで撮ったのでみんなラフですね。本番は盛りますからね!年末のどさくさ紛れに上げてみました。 pic.twitter.com/z9i75a2zvr
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) December 31, 2018
彼女の公式X(@onoda_kimi)で、過去に「ミス・インターナショナル」と「ミス・ワールド」の日本代表選考会でファイナリストに選ばれたと語っています。
身体の作り込みに自信がないまま水着着なきゃいけないのは辛いですがそれは自分の努力不足なんだから仕方ない。と、昔ミス・インターナショナル、ミス・ワールドの日本代表ファイナリストで水着&ドレス審査経験者だった者の感想でした。ミスコンの出場者良い人ばかりで楽しいですよ!外見だけじゃない
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) June 13, 2018
昔ミス・インターナショナル、ミス・ワールドの日本代表ファイナリストで水着&ドレス審査経験者だった者の感想でした。ミスコンの出場者良い人ばかりで楽しいですよ!
政治家としての知的で堅実な印象とは対照的に、華やかな舞台で堂々と挑戦していた姿がうかがえます。
ミスワールドへの挑戦は、写真を見る限りでは「2004年」と記載があるので、大学在学中にチャレンジしていていたようです。
政治家を目ざす若き日の小野田議員にとって、知名度を高める方法を模索するなかで、ミスコンは「自分を社会に発信する一つの手段」だったと考えられます。
具体的な順位は公開されていませんが、2025年10月22日放送のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」でも、彼女がミス・インターナショナルのファイナリストだったことが紹介されているので、間違いないでしょう。
こうした経歴は、見た目の美しさだけでなく、目標に向かって努力する意志と発信力を感じさせます。
ミスコン経験を通じて磨かれた自己表現力やステージ度胸は、のちの政治家としてのスピーチ力や存在感に確実につながっているでしょう。
小野田紀美のモデル以外の仕事は?
小野田紀美議員は、モデル活動に限らず多彩な職種を経験しています。
20代前半は「社会を知るための実践期間」として、異なる分野に挑戦し続けた時期でした。
接客業から制作職まで幅広く関わり、人との関わり方や組織の仕組みを身をもって学んでいます。
その経験が後の政治活動にも生きており、彼女の発信力や対話力の土台になったことは間違いありません。
シンガーソングライター
あまり知られていませんが、小野田紀美議員はシンガーソングライターとして曲をリリースしたことがあります。
出典元「【CafeSta】山本一太の直滑降ストリーム@Cafesta ゲスト:小野田紀美参議院議員(2017.5.31)」
曲のタイトルは「アマテラス」
動画の41分45秒あたりから、小野田議員が自ら作詞作曲した「アマテラス」を聴くことができますよ。
リリース年は不明ですが、おそらく大学在学中からゲーム制作会社へ就職するまでの間のどこかではないかと考えられます。
曲のタイトルや歌詞からレーベルを検索してみましたが、残念ながら見つけられませんでした。
大手レーベルではなく、インディーズレーベルでのリリースだったのかもしれませんね。
ショールームのアテンダント
2005年当時、小野田紀美さんは「ソニー銀座プレイステーションアテンダント」として勤務していました。
今後使う職歴等のプロフィールの写真を物色していたら懐かしい写真が出てきました。銀座プレイステーションショールームでアテンダントしてた時の写真。胸に輝くプレステバッチ✨好きなゲームに囲まれて最高に楽しかったんですが残念ながら閉鎖(´;ω;`)かれこれ15年くらい前です… pic.twitter.com/7q8V1u9GNo
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) December 9, 2020
これはソニーの旗艦ショールームで、最新ゲーム機やソフトを紹介する役割を担う職種です。
来店客に向けて製品デモンストレーションを行い、質問に答えながらブランドの世界観を伝える仕事でした。
この業務を通じて、彼女は高い接客スキルと社会的マナーを身につけています。
- 顧客に合わせた柔軟なコミュニケーション
- ブランドイメージを損なわない言葉遣い
- 製品プレゼンやトラブル対応力
グローバル企業の看板を背負う職場では、一つ一つの立ち居振る舞いが信頼につながります。
こうした経験が、のちに国会での答弁やメディア対応で発揮される「話し方の安定感」を育てたといえるでしょう。
ゲーム制作会社
2008年から2010年にかけては、ゲーム制作会社「アスガルド(honeybeeブランド)」で広報・制作・ブッキングを担当していました。
ここでの彼女は単なる社員ではなく、プロジェクトの進行管理から宣伝戦略まで、作品を形にする中核を担っています。
関わったとされる代表的なシリーズがコチラ▼
| 代表作品 | 発売時期 | 主なジャンル |
|---|---|---|
| Starry☆Sky | 2009年12月 | 乙女ゲーム |
| 羊でおやすみシリーズ | 2008〜2010年 | ボイスCD |
| 旦那カタログ | 2009年 | 恋愛CD企画 |
特に『Starry☆Sky』は女性向けゲーム市場で人気を博した作品で、広報としての成功体験は大きな財産になりました。
制作の現場で培ったのは、ターゲット層の心を動かす発信力と、チームを動かすマネジメント力。
これはまさに、政治の現場で「有権者の共感をつくる力」につながっています。
ゲーム制作で磨いた調整力や発想力は、彼女の現在の政策立案や広報センスにも通じているのです。
まとめ
小野田紀美議員の若い頃は、政治家としての原点を築く重要な時期でした。
高校生から社会人初期にかけて、彼女は学びながら挑戦を重ね、さまざまな経験を通して成長しています。
- 高校時代:X(@onoda_kimi)で公開された写真には、海と緑を背景に明るく笑う18歳の姿が写っています。お茶目で元気いっぱいの表情から、自然体で前向きな性格が伝わります。
- モデル活動:2003〜2007年にモデルとして活動。ウェディングショーなどに出演しながら、社会を知るための仕事の一環として取り組んでいました。
- ミスコン挑戦:「ミス・インターナショナル」と「ミス・ワールド」の日本代表選考会でファイナリストに選出されるなど、知名度を高めるための積極的な行動も。
- 社会経験:ショールーム勤務やゲーム制作会社で広報・制作を担当。人と社会をつなぐ現場で、対話力や発信力を磨いていきました。
小野田議員の若い頃は、「政治家になるための準備期間」ともいえる多面的な成長の軌跡です。
今後のキャリアや生き方のヒントを得たい人は、彼女の挑戦の過程を一度のぞいてみてください



